こりゃフィンランドに行ってみるしかないな~と思ったワケ
ここのところ立て続けにフィンランドの教育に関する本を読んでいる私です。
スゴイスゴイと言われれば言われるほど、
「一体何がスゴイんだ?」
と、自分の目で確かめなくては気の済まない私は、
Amazonで関連本を大人買いしてツン読しています。
その中で、次の様な素朴な疑問が浮かんできました。
「同じ人間なのに、私達日本の教師とフィンランドの教師では何が違うの?」
その疑問にズバリ答えてくれたのが、
以前、ブログで取り上げた『教師立国フィンランド流 教師の育て方』増田ユリヤ著と
本書『フィンランドは教師の育て方がすごい』福田誠治著です。
全て良いことづくめというわけもないし、だからといって本に書いてあることが100%嘘かといったらそうではないと思います。
日本、フィンランド両国の教育共に、良いところ、改善するところの両方があるのでしょう。
では、何が私を「こりゃ行ってみるしか~」と思わせたのでしょうか?
それは教員養成のシステムと、それを支える国民性(価値観のようなもの)です。
【教員養成システム】
前回のブログでも、フィンランドの教員は大学院で修士を取得することが義務付けられていることは触れました。
私は4年制の大学を出てから教員になったので、修士を取得することと教員になることがどう関わるのか具体的にわかりません。
ただ、その6年の間に教育実習を何度も繰り返すということが、
とても日本の4週間位の実習とは比較にならない程、
時間以上に中身の上でも「鍛えられているな」という感想をもちました。
日本はどちらかというと、「実践は現場で積め!」というスタンスですが、
フィンランドは、学生の頃から専門家、研究者としての知識もノウハウも積んでいるようです。
そのことに対する社会からの圧倒的な信頼が、
フィンランドの教育を支えていることの一つだと思われます。
【構成主義って?】
ちょっと固いテーマですが、これはフィンランドの教育を支える国民全体の価値観と共通するようなので、注意深く読み進めたところです。
私なりの解釈なので、もし、自分の目で確かめたい方は、本書P80からをお読みください。
ちょっと長くなりますが抜粋します。
「~すなわち、ルソーやデューイに発する「生徒中心主義」、子ども自身の活動に依拠する、
「為すことで学ぶ」というカリキュラム観である。
言い直せば、子ども自身が自分のために学び、教師はそれを支援することになる。
そのため、教育とは、学び方を教える、知的好奇心や批判的な疑問を育てる、多様で幅広い答えを見つけられるようになることである。
考え抜く授業が行われ、子どもは積極的な情報獲得者であり情報解釈者かつ創造者になる。
そうなると、一人ひとりの活動が異なるので、人によって知識は違うことを認めることになる。
だから他人と比べるテストは必要ない~」
「~教育の基本原理に構成主義が取り入れられ、~
~そこで、「学ぶことを学ぶ」と「他人が学ぶことを支援する」ことが教育学部の学生たちの課題となる。」
いかがでしょうか?
私達が今まで当然と思っていたことと違うと思いませんか?
理想では、
「~教育とは、学び方を教える、知的好奇心や批判的な疑問を育てる、多様で幅広い答えを見つけられるようになることである。~」
と考えていても、現実のニーズは違います。
「~人によって知識は違うことを認めることになる。だから他人と比べるテストは必要ない~」
ゴールは一人一人違うというこの考え方を、果たして日本は受け入れられるのでしょうか?
現実はそうです。みんなゴールは違います。
でも、学校は、社会は、同じゴールにたどり着かせるのが指導力だと考えていると思うのです。
実際、子ども達と一緒にいて、この子の発達段階からしたら、
今はこれが精一杯だろうな・・・と感じることが日々あります。
いつもゴールからどれだけ辿り着いていないかをはかられながら・・・
この価値観?がフィンランドの教育を支える柱となっているなら、
いくら日本が形ばかりを真似ても吸収しきれないのではないでしょうか?
そんなことを私は感じました。
私も人が学ぶという基本に立ち戻って、更にフィンランドの教育について情報を集めたいと思います。
【教育に活かす!】
●起業家精神をもつ。
●一人一人のゴールは違う。
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