2010年3月22日月曜日

大前研一著『「知の衰退」からいかに脱出するか?』

週末3時間のネットサーフィンが、「知の衰退」を防ぐワケ













【ワケ】

え~っ!ネットサーフィン?!
しかも3時間?
時間の無駄なんじゃないの?

この本を読む前は、できるだけネットサーフィンからの誘惑を断ち切ろうとしていた私でしたが、
読み終わる頃には、

「確かに昨日より今日、今日より明日と自分を成長させ周囲に還元させるには、
3時間とは言わなくても多少ネットサーフィンする必要があるかな・・・」

と思い始めてしまったのでした。

大前さんは本書で、

「ここ数年の日本社会を見ていると、頭脳を駆使することを放棄している人間、
つまり“考えない人間”が驚くほど増えているのではないかと私は感じる。」

と、繰り返し訴えています。


自分も含めて周囲を見渡してみるとどうでしょう。

「あなた考えていないね・・・!」
と面と向かって言われたら、カチンとくるくらい一応は「考えている」こともあるでしょう。

例えば、

・夕飯の献立

・家族の健康や将来

・ご近所のゴミの出し方

・花粉症がひどい原因

などなど・・・・。

じゃあ「考えている!」と大前さんに胸を張って言えるか?
というとこれではちょっと心もとなくなってきます。

大前さんはこうも指摘しています。

「~いまどきの若者たちは「自分の身の回り、半径3メートル以内のことにしか関心がない」
とも言われている。」

いつの時代も「いまどきの若者は・・・」と言われてしまいますが、

「半径3メートル以内のことにしか関心ない」のは、
別に若者に限らずおじさん、おばさんにだって言えることではないでしょうか。

私も含め、誰しも自分が体験したことの範囲でしか物事を考えることができないのでしょう。

人のことは、自分のことをすっかり棚上げして感じてしまうのが恐ろしいところで、

「ああ、この人は自分の物差しで話しているなあ・・・」
「この人のモノのとらえ方は広いなあ」

と、ついつい私は感じてしまうのです。
そういう私だって自分の物差しを自覚してます。(;一_一)
では、物事を考える器を広げるにはどうしたらいいのでしょう?

私は、まずは

「知る」

この一言に尽きると思います。

何を知るのでしょう?
それは、自分が知らないことを知っている。
世の中の全てを知ることはできないと知っている。
だから学ぼうとするし、考えようとするのでしょう。

学ぶチャンスはたくさんあるでしょうが、その一つに玉石混交のネットの力を借りて、
そこから玉を探し出す力を身につけることも大切なのだと思います。
そして、自分の目的に向かって知識を自分の中に取り込んだ後は、
行動に移していくことを忘れてはならないのです。

そうでなければただの「頭でっかち」になってしまいますからね。

【先人に学ぶ】

学生の時、戦時中の特攻隊の方達が書かれた、
きけ わだつみの声』を読んだことがあります。
20代前後の学生の方達が、特攻する前に大切な方達に向けて書いた手紙を
まとめた一冊の本です。

その文章を読んで驚くのが、言葉遣いから内容の深さ、人間性等の知的レベルの高さでした。

一体どんな教育を受けたのだろう?

と私は疑問に思いました。

過去を振り返ると、戦争を起こしてしまった先人達の過ちはここでは置いておいて、
日本人の知的レベルは十分に高かったと言えるのではないでしょうか。

だからと言って、戦前、戦時中の教育に戻ろうなんて考えはありませんが・・・。

「時代が求める人間像」に応じて、
その人が心底学びたいと思える対象を学べるようにしていきたいと思うのです。

【教育に活かす!】

新しい情報を自分の中に取り入れた後(例えばネットサーフィン等をした後)は必ず、

「要するにどういうこと?」


「じゃあ、どうするの?」

と、自分なりの納得解を私も子ども達にももたせるようにする。

●P258より

「~何より大事なのは、“自分で考える力”“考えたことを実行する勇気”“結果がでるまで続ける執念”である。」

これを日々実践するには教える側の、

「手だてのきめ細やかさ」「失敗は過程であるという思考」「忍耐強さ」

が私は必要だと思います。

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