私はこれまで何冊の「読書術」を読んできたでしょう。
「この読み方でいいんだろうか?」
「大切なことを読落としていないだろうか?」
「もっと読む力のある人なら、
いつも不安で考え込んでしまう時期がありました。
「読書術」ばかり読んでいて、肝心の本を読まずにいたので、
自分でも呆れ返っていました。
とにかくガタガタ言わずにまずは読め!ということで、「読書術」は封印していました。
いつの間にか、自分なりの読みに踏ん切りというか割り切りができるようになりました。
久しぶりに「知の巨人」といわれるセイゴオさんの「読書術」を学んで、
私の読書を少しでもブラッシュアップさせたいと思い、
読む事にしました。
【三振だっていいじゃない!】
「こんな読み方でいいのかな?」
と不安に思いながら読んでいた過去の私に、
第1章の冒頭から、バシッとストレートを
投げ込まれました。
「~また、「粗読」と「精読」を比較して、いつも精読のほうが
読書力が深まっているとも限りません。」
何と頭の固い私だったのでしょう。
確かにそうです。
本屋で立ち読みした1冊の本を、
お金を払って後から読み直すと、
本屋で感じたこと以上の感動がなかったりすることもあります。
つまり、読んでいる時間は関係ないということです。
雑誌をめくるように緩急をつけながら。
時にはまったく歯がたたず、
「参ったとか空振り三振するのも、とても大事」
「えっ!?三振でいいの?」
「それって自分が読み取る力がないってこと?」
そうなんです!
セイゴオさん曰く読書の楽しみとは、
「未知のパンドラの箱が開くということ~そのパンドラの箱が
開く。そこに伏せられていたものが、
「無知だからこそ読書はおもしろい~」
未知のものが自分の前に躍り出てくれば、
そりゃあ、誰だってびっくりしますよね。
不安にもなるし逃げたくもなる。
それを少しずつ馴らしていったり、
場合によったら一先ずおいて、再チャレンジをしたりすることも
あるでしょう。
これらのことから、私は次の自分を認めることにしました。
●私は無知だということ。
●世界は私の知らないことだらけで、
そして、知らないことが出てきたら、
●手間を惜しまずそれを書き留めること。
●意識してそれを調べ、知識やつながりを増やしていくこと。
これらのことは、
【アクション】
本の概要や感想などは、マインドマップにかきためています。
最近、モレスキン本を読んで「ユビキタス・キャプチャー」
「これは文章ごと入れておきたい」
モレスキンノートに書き写しています。(セイゴオさんのいう「
それに加えてちょっとチャレンジしたくなったのは、
「年表」です。
「~まず一万年前にから紀元前をへて、現代まで年号をふる。
たしか五冊くらいのノートにしたと思います。
その事項をこのノートに片っ端から書き込んだ~」
当然ながらセイゴオさんのように、ここまでできるとは思いませんが、
自分なりアレンジを加えたり簡略化したりして、
まずはTEFCASすることにします。
これをやった後の、
やはり時には「読書術」もいいですね。
三振することを恐れず、
0 件のコメント:
コメントを投稿